結婚って何だろう? 

こんにちは〜

久しく書いていませんでした。

気付いてみたら一週間ちょい書いていなかったですね

申し訳ないです

また今日からちょくちょく書くこととしますね

   

最近、結婚ということを改めて考えさせられています。

結婚して夫婦になって喧嘩が絶えないとか、お互いの要求が大きいとか、いろんな話を聞く機会がいろんなとこであってのことなのです。

ふと思ったんですけど、こういう話を聞いたり、目の前でバトルを見せられた時には、結婚って何だろうって思わされます。

ある方は、クリスチャン同士の方が夫婦関係は難しいという方もいます。

独身に戻りたいって、ボソっという方もいます。

結婚をしない人がクリスチャンの中でもいますけど、こういうのを見たり聞いたりしたら、腰が重くなっちゃうだろうなって感じます。

   

で、改めて結婚って何だろうとこのところ思わされているのです。

そして整理する必要があるなって感じたんです。

余りにも周りの否定的な声が強いのでね。

  

そういう否定的な話を見聞きすると、気持ちが重くなるのは正直ありますし、結婚生活は難しい部分もあるでしょう。

でもそれって思うのですが、背後で働いている敵の攻撃とかあると思うんです。

それと、自分の不足している部分を相手に求める容量がとても多いんじゃないのかなとも感じます。

  

結婚に対して祈りのうちに思い巡らしていると、旧約聖書の雅歌2章16節が示されました。

  
私の愛する方は私のもの、私はあの方のもの。

   

これが結婚生活をエンジョイ出来る鍵なんじゃないのかなって感じたんです。

「自分は愛されていない」とか、「自分は相手から満たされていない」とか、「これだけやったのに認めて、褒めてくれない」とか、全部ベクトルが自分に向いていますよね。

でもこの雅歌のみことばはその逆を言っていると思うんです。

お互いに自分のものじゃなくて、相手のもの。

  

ぼくは雅歌が好きなんです。

ストレートな表現があるので敬遠する人も中にはいますが、でも雅歌を読む度に、神様はこのソロモンとその花嫁との恋愛、そして結婚を喜ばれるんだなって思い、とっても励まされるのです。

これだけ相手を愛し、相手を認め、相手を信頼できたら、相手の身体も心も全てを褒めることが出来ればいいですよね〜

  

でもその秘訣は自分を降ろすっていうことだと思うんです。

日々自分の魂を十字架につけること。

そしてお互いの内にいますイエス様を毎日見る。

お互いの内におられるイエス様の愛で愛し合う。

その時、夫婦共に「私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの」って心から言えるんじゃないのかなって思います。

  

以前別のブログで書いたことなので、そのブログの記事と重複しちゃいますが、、結婚ってイエス様と私たちの関係の雛形なんです。

聖書はイエス様は花婿、私たちクリスチャンは花嫁。

正にこの雅歌はその絵なんです。

まもなくイエス様が再びこの地上に来られます。

花婿として、私たち花嫁を迎えにです。

クリスチャンは父なる神様から見たら息子であり娘なんですが、イエス様から見た場合、性別が男であっても女であっても関係なく「花嫁」なんです。

そしてまもなく花婿イエス様が私たちを花嫁として迎えに来てくださり、私たちとイエス様は真の夫婦となるのです。

ぼくはその日が待ち遠しいです(^o^)☆

  

でも神様は愛に満ちたお方で、その恵みをこの地上でも味わわせてくださいます。

それがこの世における結婚であり、夫婦生活なんです。

結婚という契約の中で男と女が結ばれて、心も身体も一つとされて、お互いを楽しむ。

これはイエス様と私たちの関係です。

イエス様は御自身がまもなく来られるまで、この地上において「結婚」という形を通して、その恵みがどんなに大きいかを、そしてそれを楽しませてくださろうとされているんですね。

もちろんイエス様と私たちの夫婦関係に比べたら、比較にならないぐらいわずかですが、でもその前味わい、デパ地下とか物産展とかで出店している美味しい食べ物の試食をさせてもらうように、その甘い甘い関係の試食をこの地上で提供してくださっているんだな〜って思うんです。

  

ぼくはそれに対して目が開かれた時、結婚ということの重要性、いかに神様は愛深いお方かということを深く深く感じたんです。

そうやって結婚の意味がわかった時、結婚に対する願望がどんどんと大きくなり、結婚したいなぁ〜って心から思うようになりました(^o^)☆

  

もちろん相手のためにも祈ってるし、ぼくの性格や全てにおいて相応しい方が与えられるように祈ってます。

そして主がそのための環境面においても開かれていくように祈ってます。

主は一つ一つ導かれることと思います。

お祈りくださると感謝です☆

  

とまぁ、結婚論と言えるほどのことじゃないですが、今の段階で結婚に対して教えられていることを書きました。

すでに結婚されている方から見えれば、「アマい!」って思われるかもしれませんね。

理想論って言われるかもしれませんね。

  

でも現実的な大変な面とかを考えた上で、主がそういう結婚を、そして夫婦生活を望まれているし、そういう絵を見せてくださったんだから、そういう結婚相手を、そして夫婦関係を与えてくださるんじゃないのかなって感じてるんです。

  

今はただただ主に信頼して期待するだけです。

近々出会いもきっとあることでしょうね。

どんな人を主が用意されているのか楽しみです

主に期待しつつ。。。。

  

ではでは

  

  

☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆

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主の光に照らされよう☆ 

こんにちは〜257


今日も一日暑かったです278278278278278


今年はほんと暑いですね〜388


空も濃い青空、夏だなぁ〜って実感します221


まだまだ暑い日が続きますので、お互いに体調を崩すことのないように気をつけましょうね。


  


  
さてさて、最近、デボーションで旧約聖書の詩篇を読んでいるですけど、いろんなことを主から語られています。


そしていろんな面で励まされています。


   


神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。


人の子らは御翼の陰に身を避けます。


彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。


あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。


いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。


注いでください。


あなたの恵みを、あなたを知る者に。


あなたの義を、心の直ぐな人に。


詩篇36篇7〜10節


  


いのちの泉の中で神様の光に照らされること、そしてその光に照らされる時、イエス様のいのちによって新しくされた自分が見えてくるんですよね。


神様の光以外の光に照らされると、全く逆でこれまでの自分の姿とか、出来ていない部分とか、劣等感に感じている部分やトラウマになっている部分とかが照らされて、不安と恐れでいっぱいになっちゃうと思います。


この神様の光の中にいつづける秘訣、それはいつも神様の御翼の陰に隠れていることなんですよね〜291219


  


主の御翼の陰にいつも隠れて、主の恵みを味わい、いのちの泉の水を十分に頂いて、主の光に照らされて歩んでいきたいですね☆


今まで、神様以外の光を見ちゃったことが何度もありますが、その度に感じたことは焦りです。


こんなんでいいのかなぁ〜、自分の今の状態を考えると駄目なんじゃないのかなぁ〜、結婚なんて出来るのかなぁ〜っていう思いがすっと心に入ってくるんです。


これが世の中の光、サタンの光です。


怖いですよね、


サタンの翼の陰に隠れてサタンの光に照らされるって、本当に恐ろしいです。


  

今、今後のこととか、いろんなことを祈っています。


これから先、主はどういう風に導こうとされているのかとか、結婚のこととか、主に聞いています。


でもそういう中で世の光じゃななくて、神様の光に照らして頂いて、御翼の陰に隠れ、いつも主に聞いて、主の導きに応答していきたいです。


主はどんな風に導いてくださるんでしょうね☆


どんな働きへと導かれるのか、どんな出会いがあるのか、主に期待しています☆


お祈りくださると感謝です291


 


今は主の御翼の陰で、ただただ主に期待しています。


 


明日もいのちの泉の中に留まって、主のいのちの水をお腹いっぱいになるまで飲もうと思います(^o^)


そしてそこで照らされる光のうちに光を見ることとします☆


いのちの泉の中にいれる恵み、いのちの光に照らされていること、本当に嬉しいですね〜354


幸せいっぱいです290424


ハレルヤ〜290438


 


ではでは257463


  


   


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キリストのいのちの水の流れの中で 

こんにちは〜257


今回突然ですがタイトルを変更することとします。


新しいタイトルですが、 リビングウォーターライフ っていうタイトルにします。


なんだそりゃ〜って思われる方もおられるかもしれませんが、昨日からずっとその思いが内側に来ていて、それで思い切って変更しようって思ったんです。


で、リビングウォーターライフってどういうことなのかと言いますと、聖書の中に何度かいのちの水ということばが出てきます。


実はこのいのちの水、ぼくが5年ほど前から主から語られているみことばなんです。


旧約聖書のエゼキエル書47章にはこういうみことばがあります。


 


彼は私を神殿の入口に連れ戻した。


見ると、水が神殿の敷居の下から東の方へと流れ出ていた。


神殿が東に向いていたからである。


その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。


ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。


見ると、水は右側から流れ出ていた。


その人は手に測り縄を持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。


彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。


彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。


彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。


水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることができない川となった。


彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。


私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの水があった。


彼は私に言った。


「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。


海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。


この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。


この水が入ると、そこの水が良くなるからである。


この川が入る所では、すべてのものが生きる。


川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。


その水が聖所から流れ出るからである。


その実は食物となり、その葉は枯れない。


エゼキエル書47章1〜12節


 


ちょっと長かったんですが、このみことば、ぼくが主から語られたみことばなんです。


もう5年くらい前の事なんですが、今もそうなんですがよく海岸で祈っていました。


海岸だと大きな声を出しても誰も迷惑かからないし、イエス様はよく一人荒野や寂しいところに退かれたけど、ぼくは海岸で祈ったり思い巡らすことが多いんです。


有る意味、海岸はぼくにとって祈祷院なんですね。


集中できるのと、声を出して祈ったり賛美しても誰にも聞かれないし、波の音でかき消されてしまいます。


そんなこんなでよく海岸で祈るんです。


  


で、5年前のある日、海岸で祈っていました。


それはこの地域の救いのため、そして今後の自分の働きのためなどのために祈っていました。


そして心静かに主に集中して祈っていると、突然内側にエゼキエル47っていう声というか思いが聞こえたんです。


で、エゼキエル47章っていえば、神殿の敷居の下から水が流れ出て、泳げる程に水が溢れる、。その水の流れるところ、全てが生きるっていう内容だということは知っていました。


でもそのことなど全然考えていないところにポンと聞こえてきたんです。


  


ぼくはそのみことばを思い巡らすと、今度は思いの内に大きな大きな波が見えたんです。


そしてそれは海岸を越えて町に溢れ流れていったんです。


  


これはどういうことなんだろうってずっと祈っていると、一つの思いがきました。


その水の流れるところ、みな生きる!


 


そうか、主は自分を通してこの地域に、そして日本に、世界に、このいのちの水をされているのかってその時思ったんです。


これはぼくにとって大きな出来事でした。


  


その翌年、突然腰が悪くなり、そして足にまで痛みが走って倒れてしまったんです。


そしてそれから3年間、徹底的に聖霊様の手術を受けることとなったのです。


自分の内面や生活、そして自分の内側にある働きの動機などなど、


そういうものに光が当てられました。


そして如何に野心に満ちていたかということ、そして如何に聖書のみことばに対して無知だったかということに光が当てられました。


自分の内側は空っぽだったんです。


それは倒れる前からうすうす感じてはいました。


  


ある時、鬱が強い人が教会に来て突然泣き出しました。


その人の話を聞き、慰めたんですが、その時に聖書のことばが浮かばなかったんです。


みことばで励まそうと思ったんですけどね。


何とか出たことばは「あなたは高価で貴い」というみことば。


それもイザヤ書ってわかるんですが、そのどこかが全然出て来なくて聖書から一生懸命に捜したんです。


その時、自分は聖書を知らないし、みことばが自分の中で実際的に生きていないんだなって感じてショックでした。


 


でもそれもごまかしていました。


そういうのも光に照らされたんです。。。。


  


でも、それと一緒にイエス様の十字架と復活が明確にわかったんです。


それはただ私の身代わりとしてのイエス様の十字架だけじゃないですよ。


その先です。


  


そう、イエス様の十字架と一緒にこれまでのぼくも一緒に十字架について死んだんだってわかったんです。


ぼくはそのみことばは良く知っていて、ことある毎に「そのみことばを現してください。私はその十字架の死を体験したいです。どうか『私はキリストと共に十字架で死にました』っていう経験をさせてください。ぼくは死にたいのです!」って祈ってました。


でも実際これはどういうことなのか、どういう意味なのかって全くわかんなかったです。


それがわかったんです。


  


これって本当に単純で、どうしてこんなに苦しんだんだろうって感じました。


イエス様は2000年前に十字架で死なれた。確かにその時ぼくはいなかったけど、ぼくという根本的な人、遺伝子とかいろんな言い方はあると思うけど、そいうぼくの根本的な存在もイエス様の内にあったんです。


もともとアダムの子孫としてぼくは生まれ、生まれながらに罪を抱えています。


イエス様はそのアダムの子孫としてこの地上にお生まれになりました。


マタイとかルカで系図が書かれていますが、それがそれを証明しています。


そしてぼくもの遺伝子、DNAもその中にあったんです。


  


でもイエス様が十字架で死なれた時、アダムの系列は終わったんです。


そしてぼくの遺伝子はその時イエス様の中にあったんです。


だからイエス様が死んだのだから、ぼくも自動的に死んだんです。


  


ぼくはそれを単純に受け入れたとき、本当に楽になりました。


これまで過去に遡って一生懸命にその癒しをしてきました。


でもその過去は全部イエス様の十字架によって贖い出されたとき、終わったんです。


そう、その過去のドロドロしたぼくは死んだんです。


死んだ人間は癒しようがないです。


火葬場に行って遺体を燃やすだけです。


だから過去をあれこれと探る必要など全くないです。


  


そして今はどうかというと、イエス様が復活した時、ぼくも一緒に復活しました。


そしてイエス様が天に上げられた時、ぼくも上げられました。


イエス様は今天の御父の右の座に座っておられるとエペソ人への手紙に書いてありますが、ぼくも同じように御父の右の座に座っているんです。


それと同時に今、この世にあっては復活のいのちで生かされています。


そしてぼくの内にはキリストのいのちが宿っておられるのです。


イエス様はぼくの隣ではなく、ぼくの内に住んでいてくださっています。


  


これがわかったとき、本当に解放されました。


古い自分はもう死んだんです!


そして今ぼくはイエス様のいのちで生かされているんです。


 


そしてぼくは昨年の春癒され、今ほぼ完全に癒されました。


  


昨日のスィーツバイブルの箇所はヨハネによる福音書7章37〜39節。


だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。


わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。


  


上のエゼキエルのみことばの生ける水、それはイエス様の内にあるんです。


そしてイエス様のところに行く時、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになるんです。


 


これ、別の訳にはこう書いてあります。


誰でも渇いている人があれば、私のところに来て、いつでも飲むがよい。


私を信じる人は、聖書が言った通り、その人の内部から活ける水の川が何本も流れ出ることになる。


  


ぼくの内側にはすでにイエス様の活ける水が与えられているんです。


そしてその水がぼくを通して内部から何本も溢れ出ていく。


チョロチョロと細い一本の川じゃないですよ。


何本もです。


原語を見ると川々と複数形になってるんです。


  


でもそれが流れないのは、せっかく与えられている水をとどめている何かがあるから。


それは野心だったり、肉的なことだったり、主との交わりから出てしまったりすることです。


その岩を除ければ、もの凄い勢いで水が流れ出ていきます。


 


昨日、スィーツバイブルを書きながら、その岩を除けるミニストリーへとぼくは今置かれているのかなって感じたんです。


それはぼく自身が岩を主によって取り除いていただいたから、内なる活ける水、イエス様のいのちの水がどんなに甘く素晴らしいか、喜びと解放に満ちたものかがわかるから、その岩を取り除くためにお手伝いをするように導かれているように感じているんです。


それがきっと5年前の海岸での出来事の意味だったのかなと感じています。


   


そういうことで、


リビングウォーターライフ


   ― キリストのいのちの水の流れに浸されて。。。 ―


というタイトルとサブタイトルに変更することとしました。


  


でもだからと言って、世界に影響を与える何かをやろうとかそいうことは全然考えていません。


主の召しと導きに単純に応答し、主を楽しむ、それだけです。


だって、ぼくが何かをやるんじゃなくて、ぼくの内側からいのちの水が流れ出て人々を解放へと導かれる。


ぼくの何かじゃなくて、ぼくのうちなるイエス様のいのちの水なんです。


単純に楽しんでいれば、乱暴な言い方で言えば、勝手に主がぼくを通していのちの水を注いでくださる。


だからぼくはダビデが契約の箱を担いでエルサレムに踊りながら入ったように、主を喜びエンジョイするだけです。


そしてその輪が広がっていけばリバイバルです!


 


このブログも読まれた方が、イエス様のいのちに触れ、内なるイエス様のいのちの水を見出して、その水を味わい、楽しみ、その水がその人を通して溢れ出て洪水状態となればって願っています。


主に期待します284 ハレルヤ69


 


ではでは257463


  


 


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鎌倉花火大会2007 

こんにち〜


うちの方は今日も朝から暑いです。


凄い暑さ、じっとしていても汗びっしょり。。。


最高気温も35度という状態が毎日です☆


凄いですね〜〜〜〜。   


  


さてさて、昨日は花火大会が神奈川県の鎌倉の由比ヶ浜海岸で行われました。


 凄い人でびっくり


人人人で、行きは良かったんですが、帰りは目の前が鎌倉駅という状態なのに、全く動けなくて、結局1時間くらいかけて駅に着きました


いろんな意味で凄かったです。


 


でですが、写真を撮ったのでアップしますね。


でもごめんなさい、上手く取れなくてピンぼけとかの状態でした


それではこちらがそうです。


 


 



 


 


それとですが、動画も撮ったので、それもアップします。


それではどうぞ☆


 


 



MOV00417 posted by (C)みのみの

 


 どうぞゆっくりゆったりと、花火大会の雰囲気を楽しんでください


ではでは257463


   


    


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主の素晴らしさ、恵み深さを味わい知ろう☆ 

こんにちは〜

今日も一日、とっても暑いですね〜。

暑いとじっとしているだけでも疲れますね。



さてさて、今日はデボーションの分かち合いをします。

今日読んだ聖書の箇所は詩篇34篇1〜10節でした。

この箇所、読んでいていろんなことを教えられました。

その中でとても心に残った箇所をお分かちしますね



主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。
幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
主を恐れよ。その聖徒たちよ。
彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
若い獅子も乏しくなって飢える。
しかし、主を尋ね求める者は、
良いものに何一つ欠けることはない。
(詩篇34:8〜10)

上は新改訳聖書の訳です。

で下のは新共同訳聖書の訳です。

味わい、見よ、主の恵み深さを。
いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。
主を畏れる人には何も欠けることがない。
若獅子は獲物がなくて飢えても
主に求める人には良いものの欠けることがない。
(詩編34:9〜11)

 



主の素晴らしさ、恵み深さを味わい知ること。

ほんと、とっても大切なことですよね。

主が私たちに何をしてくださったか、その恵み。

そして主がどんなに偉大なお方か、その高さ、深さ、長さ、広さを味わい知ること、本当に大切なことですよね。

イエス様が私たちにしてくださったこと、そしてイエス様がどんなに愛に満ちたお方かを知れば知るほど、内側がホクホクとあったかくなり、嬉しくなります

ダビデもきっとそうだったんだろうなぁ〜って思います。



でもこれを書いた時のダビデ、最低最悪な状態だったんです。

この詩篇を書いた当時、ダビデはサウル王から逃げ回っていました。

サウル王から逃げたと言っても、別にダビデが何か悪事を犯したわけじゃないですよ。

彼は本当に謙って忠実にサウル王に仕えていたんです。

でもサウル王は、そんなダビデに対して自分よりも上であり、自分の王位を脅かす厄介者だからという理由だけで殺してやれって思ったんです。

完全な逆恨みですね。。。。。



で、この詩篇を書いた時、ダビデはなんとわざと口からよだれを流して気が触れたふりをしたんです。

それはサウル王の追手を避けてのことででした。

これ以上の屈辱、恥はないですよね。

自分がそれをやるって考えたら、これは大変なことだと思います。
 


でもダビデ、こんな屈辱的であり、最悪な状態の中で主を賛美したんです。

1節にはこう書いてあります。

私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。



この詩篇を詠みながら、ぼくはどうだろうって思わされました。

調子が良い時は主を賛美するのって簡単ですよね。

でも問題は苦難のただ中。

苦しい状況の時こそ、その状況のただ中に主を招くことだと思います。

  
 
ぼくは時々ふと「これからどうなるんだろ〜」って恐ろしさというか不安に駆られることがあるんです。

そういうことが突然思いに入ってきて、その度にザワザワっていう思いになっちゃうんです。

でも、そういう中で主を賛美して礼拝すると、段々と暗い雲が除けていくように、心の重くて暗い雲が取れていくようになり、逆に平安が来るんです。

本当に不思議ですが、何度も何度もそういう経験をしています。

  
  
思うんですが、礼拝ってそういうことなんですよね。

恐れが内側に来た時、その中で恐れに身を置くのではなく、主の素晴らしさ、恵み深さを味わい知ることなんですよね。

  
主は不安なただ中でその御翼の陰に隠してくださるお方、敵の前で食卓を整えてくださるお方。

苦難のまっただ中で休み場を与えてくださるお方です。

  

主は素晴らしいですね。


ぼくはまだまだ主の素晴らしさ、恵み深さを味わいきれていません。

おそらく上辺しかわかってないんだろうなぁ〜って思います。

もっともっとイエス様の素晴らしさ、恵み深さを味わい知りたいですね。

心をオープンにして、内なる聖霊様に信頼して語っていただく。

もっともっと餓え渇いて主を求めていきたいです☆


お互いに主に餓え乾き、主の素晴らしさ、恵み深さを味わい知るために、内なる主に教えていただく歩みをしていきましょう!

ではでは

  

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主への依存生活(^o^)♪ 

こんにちは〜

今日はリビングライフからの分かち合いをします。

昨日の箇所なんですが、リビングライフのコラムにヘンリー・ナウエンという人の文章がありました。

で、それを読んでとっても恵まれたので、今日はそれをシェアすることとします。

  

確信、恵みの贈り物
  
私は何年か前に、道を歩いていて交通事故に遭い、脾臓(ひぞう)破裂で病院に運ばれました。

女性の医師は手術をしても助かるかどうかはわからないと言いました。

手術は成功しました。

しかも、手術前後の時間の中で、以前、経験出来なかった乳児期を経験することが出来たのです。

   

私は十字架に似ているテーブルの上にしっかりと縛られました。

そして、マスクをつけた人たちに囲まれ、完全に依存する状態を経験しまいた。

その時、私は全く知らない医学チームの技術に身を任せることで、私の最も深い存在は依存的な存在であることに気付きました。
  
  
  

そして、いわゆる透視力といったものとは無関係な、ある確信を得ました。

それは手術後、助かっても助からなくても、私は神の御手の中に平安に抱かれて、間違いなく生きるであろうという確信でした。
  
   
  
私はその特別な出来事のお陰で、乳飲み子のように面倒を見てもらわなくては生きていけない乳児期に返り、安全に守られているという、とてつもなく大きな感覚を経験しました。

この経験は生々しく、根本的かつ大きな波及的な力をもって、私の自意識を根こそぎ変えただけでなく、私の意識状態に深い影響を及ぼしました。
  
   
   
ここには、不思議な一つの逆説が成立します。すなわち、人への依存は時々、私たちを奴隷状態に陥らせますが、神に対する依存は、自由に導くということです。

どんなことが起こっても、神が安全に私たちを守ってくださっているということを受け入れるなら、私たちは何をも、誰をも恐れる必要がないのです。
  



私たちは強い信頼感をもって、人士を突き進んで行くことが出来ます。

神への最も親密な依存を、呪いの結果ではなく、恵みの贈り物として受け止めるとき、私たちは神の子どもとしての自由を発見出来るのです。

<―ヘンリー・ナウエン―>
 
 
 
この文章を読んで、イエス様に依存するっていうことの大切さをしみじみ感じたんです。

ぼくたちは強がりとかで何かまるで何でも出来るように感じちゃいますが、でも神様の前では赤ちゃんのような存在なんですよね。

そして赤ちゃんが何のためらいもなく母親に依存するように、もっともっと神様に依存することなんだなぁって思わされました。
 
  
  
この文章にも書いてありますが、人への依存は有る意味奴隷状態のように自分で何も出来ないようになっちゃいますが、でも神様への依存は本当の意味での自由へと導かれるんですよね。

もっと深く、もっともっと深くイエス様の中に入っていきたいですね。

イエス様のその御手の中にすっぽりと抱きしめられ、その愛を十分受けて歩んでいきたいです☆

イエス様が子どものような信仰をもつように言われたのは、そういう意味なんですよね。

今日も主に期待して、主に信頼して、主に依存して歩んでいきましょう!

ではでは
  
  
  
  
☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆

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8月への期待☆ 

こんにちは〜
うちの方は8月に入ってやっと梅雨明け、暑い暑い日が続いています。

皆さんのところはどうですか?
  
  
  
さてさて、4日程過ぎましたが、いよいよ8月ですね〜。

毎年思うんですが、夏になると暑くて疲れる部分もあるけど、でも何か気持ちが開放的になるんです。

暑い暑いってそれだけを思うと気持ちも暑くて熱くて溶けちゃいそうになっちゃうんですけど、でも逆で主がこの8月、どんなことを用意してくださるんだろうって期待するととっても楽しみなんです

この夏、主はどんなことを用意してくださっているんでしょうね。

主に期待して、信頼して、主の用意されたプログラムをエンジョイしようと思います。

何か素敵なプレゼントを主は用意してくださっているような気がしてるんです。

そんな風に考えるとなんかウキウキしてきます


主よ、ただただあなたに期待します。

主が皆さんの内に計画されている素敵なプログラムが具体的に現されますように

ではでは
  
  

  
☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆++☆

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はじめまして☆ 

こんにちは〜

はじめまして、みのみのと言います。

今日から少しずつですが、普段考えていることとか、聖書などから教えられたことなどを書いていこうと思ってます

ぜひぜひ気軽に来てくださいね。

このブログに来た方が元気になり、イエス様を喜び楽しめるようになることを願っています。

とはいうものの、そんな片意地張らないで、リラックスしてブログをエンジョイしようと思ってます。

基本は自然体です

  

さてさて、今回は第一回目なので、ぼくの救いの証し、つまりどうやってクリスチャンになったのかということについて書きますね


ぼくがクリスチャンになったのは中学3年生の冬、実はテレビの伝道番組を偶然見て、それでイエス様を信じたんです。

当時、本当に全てに絶望してて、本当に空しくてしょうがなかったんです。
どうして勉強しなきゃいけないのか、学校に行かなきゃいけないのか、何もかも嫌でした。
いじめにもあってたこともあって、中学2年生の時は年間の半分以上学校に行かなかったです。

そんなこんなで、中学3年になり、その冬です。

当時、日曜日の朝は遅くまで寝てたんですが、その日に限って朝早く起きたんです。

そしてすることもないので、何の気なくテレビのスイッチをオンにして、番組をいくつか変えたんです。

そうしたら何とキリスト教の番組がやってたんです。

その番組、今はもうやってないんですが、当時アメリカでの公開番組でした。


実はキリスト教に触れたのはその時が最初じゃ無かったんです。
  



小学校5年生の夏、ぼくは神奈川県の湘南地域に住んでるんですが、毎年夏、ちょうど今頃の時期に花火大会(7月末です)が行われています。

その時の花火大会、今はうちから花火が見えませんが、当時はうちから花火が見えたので、例年は見に行かないんですが、その時は海岸まで花火を見に行きました。

会場の海岸までの道、もの凄い人でゆっくりゆっくりと海岸に向かいました。

海岸に近づくと、妙に明るい人たちが何かを配ってるんです。

ぼくは何だろうと思ってそれをもらいました。

それは約10ページ程のハガキサイズの小冊子でした。

花火が始まるまで時間があるので、浜辺に座ってその間その小冊子を読みました。

そうしたらビックリしました!

その小冊子のタイトルは「イエス・キリスト」、

内容は聖書の福音書をコンパクトにまとめた内容でした。

ぼくはそれをどんどんと読んでいきました。

それと共に目から鱗状態でした(^o^)

ぼくは思いました、

「すげぇぇ〜〜〜、イエス様って凄い!!!!

病気の人を治し、目の見えない人を見える様にし、耳の聞こえない人を聞こえるようにし、歩けない人を歩けるようにした。

死んだ人を生き返らせ、全部の必要に答えられた。

しかも十字架にまで架かられた。

なんて凄い方なんだろ〜〜〜!!!!!!!!

よし、オレ、クリスチャンになる!!!!

何とそこで信仰告白しちゃったんです☆

それまで教会に一度も行ったことないし、両親ともにクリスチャンじゃない。

キリスト教のキの字も聞いたことないし、名前は知ってたけど、それが何かなんて知らないし考えたこともなかったです。

だからきっと余計に衝撃が大きかったんだと思います(^o^)♪

ぼくはその時、これからクリスチャンになって近くの教会に行こう!って決心したんです。

  

翌週から教会に行きました。

語られていたことはよくわかんなかったけど、それでも半年位は続いたんです。

でも段々と行かなくなりました。

そして行かなくなると、それに伴って自分がわかんなくなってきたんです。

上にも書いたんですが、いじめにもあっていました。

本当に嫌でした。

学校に行くのも嫌だし、怖いし。。。。

そして学校に行かなくなったんです。

それは中学2年。。。。

  
全てが空しい。

たばこを吸いました。

でも満たされない。

お酒を飲みました。

でも満たされない。

あぁ、空しい。。。。。


  
そんな中で中学3年の冬、偶然早く起きてテレビのスイッチをオンにしたらキリスト教番組がやってたんです。

ぼくはそれをぼんやりと見ながら、「懐かしいなぁ」って思いながら見ました。

その番組、テーマがあって、それは「あなたは愛されています」

賛美もそういう内容の賛美、CMがあったんですが、それもそういう内容、

その後、牧師が出てきてメッセージが始まったんですが、それも「あなたは愛されています」

メッセージで「イエス様はあなたを愛しています。あなたのために御自身が十字架に架かったんです。あなたの内には罪があります。イエス様を信じればその罪は赦されるんです」

確かそんな内容のメッセージでした。

  

これは本当に不思議なんですが、ぼくはその時はっきりと罪がわかったんです。

というのは中2の時に不登校したし、親には悪態ついた(決して暴力とかはしません)し、たばこもお酒も飲んだ。

否定出来ない事実なんです。

だから罪がわかりました。

そしてイエス様の十字架もわかりました。

こんなぼくのためにイエス様は十字架に架かったんだ!!!

きっと小学校5年の時に蒔かれた種が中三の冬に固い固い土から芽が出てきたんでしょうね。

  
ぼくはすご〜〜〜〜〜〜く嬉しかったんです。

そしてイエス様を信じたい、って心の底から思いました。

涙が目からポローーーっと流れてきました。

  
番組も後半になり、牧師が言いました、

「もし今イエス様を信じたいと思った方、手を挙げてください。今テレビの前に立っているあなたも、信じたいと思った方はブラウン管の前で手を挙げてください。」

ぼくは「はーーーい」ってテレビの前で手を挙げたんです。

そして牧師は「今手を挙げた方、私の後について祈ってください」といい、
祈りました。

ぼくも牧師の祈りについてテレビの前で声を出して祈りました。

 
その瞬間、本当に嬉しかったです。

今までの空しさから解放されたからです☆

ぼくは祈った瞬間、「赦されたーーーー!!!!」っていう思いでいっぱいになりました。

それと同時に、「ぼくは一人じゃない、ぼくはイエス様に愛されてるんだ!!!」

っていう思いでいっぱいになったんです。

  

それからぼくは本当に変わりました。

今まで嫌いだったことが好きになり、逆に喜んでやっていたことが全部嫌になりました。

土曜日は夜8時には布団に入り、日曜日の朝その番組を見るのが楽しみでしょうがないようになったんです。
  


そして番組の宣教団で教会に行く大切さを語られ、教会に行こうと思いました。

 
4月になったら行こうって思ったんです。

そして勇気を振り絞って、5年生の時に半年行った教会のドアを開けたんです。

そうしたら皆さん、凄く歓迎してくれました☆

帰り際、卵をくれました。

その時は全然わかんなかったんですが、皆さんはわかりますよね、

そう、イースターだったんです(^o^)☆

  
ぼくはイースターの日に教会に復活したんです。

そしてその年のクリスマス礼拝、ぼくは洗礼を受けました。

本当に嬉しかったです☆

その時の感動は今でも昨日の時のように覚えています。

  
それからずいぶんと経ちましたが、でもその時の感動は今でも覚えています。

そしてそれからも本当にいろんなことがありましたが、イエス様への思い、そしてイエス様から愛されているという感覚、これは全く消えていません。

イエス様って素晴らしいですねぇ〜〜〜〜


このイエス様のことがわかればわかるほど、嬉しくなっちゃうんですはーと
  

  
さて、これから少しずつ、イエス様との交わりの中で教えられたこととかを書いていきます。

それとこれまでのことの証しもまた少しずつ書きますね。


これからどうぞよろしくおねがいします

いろんな方と出会い、よき信仰の友が沢山出来ればなぁ〜っておもってますrainbow

それではまた

ではでは


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